潮流に乗り、波音に耳を澄ませる

2024年5月24日

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先日,国立歴史民俗博物館を訪れました。この博物館は,日本の歴史,民俗学,考古学を総合的に研究・展示する施設であり,展示総件数は約9千件,収蔵資料件数は約22万件にのぼります。国立の研究機関かつ教育機関であり,人間文化研究機構が運営しています。
その敷地に足を踏み入れた瞬間,時空を超えた歴史の息吹が肌を震わせました。まず,館内に入ると広大な展示スペースが広がり,古代から現代に至るまでの日本の歴史が,精緻に再現された模型や貴重な資料と共に展開されます。
歴博の展示は概論的なものを避け,各時代を象徴する事物を取り上げたテーマ展示が主体です。展示室は常設展示の第1から第6展示室と企画展示室に分かれています。常設展示は高校生以上を対象としており,ジオラマを含む復元模型やレプリカを多用しているのが特色です。日本の文化財には,紙,木,繊維などの脆弱な素材で構成されているものが多いため,歴博の常設展示では土器・石器のような長期展示可能なものを除き,実物資料の代わりに精巧なレプリカが多用されています。常設展示されていない実物資料は,企画展示で公開される場合があります。
第1展示室では,旧石器時代から中世に至るまでの人々の生活が,復元模型や復元画を用いてビジュアルに描かれており,その時代の息吹を感じることができます。特に,先史・古代の展示室は,考古学の羅針盤が指し示す深淵へと誘い込みます。土器や石器一つ一つに,創作者たちの息遣いと,その時代の人々の暮らしが凝縮されているかのようです。

特に心を奪われたのは,縄文犬の頭蓋骨の展示です。

縄文犬は体高38cmから45cmの小型犬であり,その頭蓋骨は現代の犬とは異なる特徴を持っています。額から鼻にかけての凹み(ストップ)が少なく,鼻筋が通った細面の顔立ちが特徴です。この特徴は,縄文犬が南方の東南アジアから渡来した可能性を示唆しています。また,縄文犬の頭蓋骨はオオカミの祖先種を彷彿とさせる形状を持ち,その筋骨逞しい姿は縄文時代の厳しい自然環境を生き抜いた証です。
縄文犬の頭蓋骨を見つめると,その骨の一つ一つが,かつての狩猟生活や人々との絆を物語っているように感じられます。縄文犬は狩猟犬としての役割を果たしながらも,時には埋葬されるほど大切にされていたことが,その出土事例からも伺えます。

中世の展示室では,華麗な仏像や荘厳な武具が,かつての権力と美意識を物語ります。近世の展示室では,庶民の暮らしが克明に再現され,江戸時代の活気あふれる町並みを彷彿とさせます。歴史は,権力者の物語だけでなく,庶民の営みもまた,その一部を担っているのです。
第3展示室には江戸時代の街並みを再現した模型があり,細部に至るまで忠実に再現された町屋や商店,そして賑わう市場の様子は,まるでその時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。
第5展示室では,近代日本の産業革命や都市の発展が,ポスターや広告,実物大の展示物を通じて生き生きと描かれています。
民俗学の展示室は,まるで民俗学の万華鏡です。多種多様な民具や衣装は,日本の各地に根ざした文化の多様性を教えてくれます。それぞれのアイテムには,人々の生活と深く結びついた歴史と物語が宿っているのです。
近代以降の展示室では,激動の時代を生き抜いた人々の姿が映し出されます。戦争,復興,そして現代社会へと続く,日本人の歴史が凝縮されています。歴史は,単なる過去ではなく,現在を生きる私たちと繋がっているのです。
ここで私の目を引いたのは,解体人形でした。

この精巧な人体模型は,長野県佐久市の農民,小林文素が『解体新書』を読み解き,和紙と桐材,針金を用いて製作したものです。その細部に至るまでの精密さは,当時の医学の進歩と人々の知識欲を象徴しています。解体人形は,医学の発展に寄与しただけでなく,教育の道具としても重要な役割を果たしました。
この解体人形は,骨や筋肉,臓器の配置までが忠実に再現されており,当時の日本における医学教育の一端を担い,多くの医学生や学者たちにとって貴重な学習資源となりました。また,この解体人形は,医学の知識が一般の人々にも広まりつつあった時代の象徴でもあります。
第6展示室では,戦後の日本の復興と高度経済成長期の生活が,実物大の団地の再現や当時の家電製品,玩具などを通じて紹介されています。これらの展示は,単なる歴史の記録に留まらず,私たちにその時代の空気感や人々の生活の息吹を伝えるものです。
国立歴史民俗博物館は,単なる展示施設にとどまりません。学術研究の最前線であり,多くの人々が歴史に触れ,学び,そして憩う場でもあります。広大な敷地内には,美しい庭園もあり,心ゆくまで歴史と自然に浸ることができます。

三村(晃)