芸術の風、創作の翼

2024年4月12日

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❝2023年度 武蔵野美術大学 卒業·修了制作 優秀作品展❞へ行ってきました。この展覧会は,学部卒業制作および大学院修了制作において,特に優れた作品や研究成果を発表した学生に対し“優秀賞”が贈られるものであり,約100名の受賞者の作品や研究成果が学科やコースを越えて一堂に展示されていました。1967年から続く展覧会であり,本学の学生たちが在学期間中に取り組んできた制作·研究の集大成が秀作揃いであり,美術教育の今を映し出しています。

特に,造形学部基礎デザイン学科の蒋昊氏の作品に心を奪われました。
私たちの身の回りにあるモノたちには,様々な製造方法が存在します。何かを創造する過程で,支持体の残骸や注入の痕跡など,製造方法によって必然的に本体に付着して残る部分があります。それらは製造プロセスにおいて重要な役割を果たしていたものの,本体が完成する際には取り除かれるべきものであり,へその緒に類似していると言えます。胎児はへその緒を介して母体から酸素や栄養を受け取り,老廃物を母体に返します。生まれた後,へその緒は切り離され,その跡がへそとして残ります。廃材となるこれらの部分には,それぞれの生成過程における魅力が宿っています。その魅力を引き出すことで,突如として新たな価値が生まれる可能性があります。


出展された本作品は,プロダクツの“へその緒”に焦点を当て,それらをプロダクト生成のメタファとして,また胎児を暗示する象徴として捉える試みです。印刷や製本の作業による断裁ズレの許容範囲を示すトリムマーク,インキ色の管理マークの色玉,“ハリ,クワエ”を指示する目印など,様々なマークが付された印刷物の中間生成物から生まれた胎児,3Dプリンターによる造形を安定させるラフトや,造形が崩れないように支えるサポートが付着した3Dプリントされた胎児,身体がパーツに分解されたプラモデルのキットから組み立てられた胎児,吹きガラスによってガラスを吹き半から切り離した際に残る跡がついた胎児…人間の胎児を生産物として捉え,胎児の身体のポジに対する“ネガ”としての“やれ”の推積が見事な造形を成し,3Dプリンターのサポートが胎児と融合し,まさに有機的な臍の緒のように見えます。この見立ての視点と,それを形に集約する制作の精度が,非常に素晴らしいものでした。これらのオブジェクトは,プロダクトの製造過程と生命の生成を同期させ,生成の魅力を見立てる試みでもあると感じました。

また,同じく造形学部基礎デザイン学科に所属する弦巻朱音氏の作品も興味深かったです。
私たちの身の回りには,人間の手によって一方的に品種改良された動物たちが数多く存在しています。しかしながら,その姿はすでに日常風景と一体化しており,私たちはペットとしての犬や猫を始めとする改良された動物たちに対して,疑念を抱くことはほとんどありません。 このプロジェクトでは,品種改良の目的を家禽,ペット,観賞の三つに分類し,それぞれの目的に応じた新たな鳥類の品種を創出しています。ダウンを豊富に生産するアヒル,家庭で飼うことができる小型の鷲,そして新たな観賞用の品種を,実物大の模型と生態を解説するパネルを用いて,現実に即した形で考察することができるように制作されており,人間と他の動物たちとの多様な関係性を,新たな視点で考える契機となりました。

このプロジェクトの発端は,作者が,人間の手によって大きな胸を持つように品種改良された鳩,ポーターを目の当たりにして衝撃を受けたことにあります。人間は多種多様な品種改良を行ってきましたが,もし鳥たちに対しても毛の利用,愛玩,鑑賞といった目的で品種改良を施したらどうなるのか?という仮説を立て,紙の巧みな造形を通じて現実感を与えることで,人間による品種改良の問題点を提起する作品となっています。
品種改良は動物福祉と密接に関わる重要なテーマであり,その実践には慎重な配慮が必要です。動物たちが人間の利便性や美的感覚のみに基づいて改良されることは,しばしば彼らの健康や幸福に悪影響を及ぼす可能性があります。例えば,過度な品種改良によって生じる健康問題は,獣医学的介入を必要とすることが多く,動物たちの苦痛を引き起こすことにもなりかねません。
この作品が提起する問題意識は,私たちが日常的に接するペットや家禽などの動物たちに対する認識を再考させるものであり,品種改良がもたらす影響について深く思索する機会を与えてくれます。動物たちの生態や本来の姿を尊重し,彼らの健康と幸福を最優先に考える品種改良のあり方を模索することは,獣医師としての責務であると感じます。

今回の卒業展は,若い才能たちの情熱と創造力が溢れる場所であり,私はその魔法に包まれた一日を過ごしました。美術とデザインをめぐる,新たな世代の活力に満ちた作品を総覧することで,これからの表現の可能性を感じました。

 

三村(晃)