Câu chuyện được kể bởi bia đá

2024年11月26日

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先日,世界文化遺産「ミーソン聖域」へ足を運びました。この地は,古代チャンパ王国の神聖なる聖域として,悠久の歴史を刻んできました。ミーソンとは「美しい山」を意味し,その名の通り,緑豊かな山々に囲まれたこの地は,神秘的な魅力を放っています。
遺跡へ行く前に,チャンパ王国を打ち立てた古代チャム族の貴重な彫刻芸術品や石像が幅広く収蔵されているBảo tàng Điêu khắc Chămを訪れ,歴史を学びました。そこには,海洋国家として栄えたチャンパ王国ならではの国際色豊かな展示品が揃い,ミーソン遺跡についての造詣をより深めることができました。
ミーソン聖域の正式名称はサンスクリットで『シュリーシャーナバドレーシュヴァラ』といい,チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域です。クアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷に位置し,聖山マハーパルヴァタを望むこの地には,7世紀から13世紀にかけて建造されたレンガ造りのチャンパ塔などの遺構が残っています。しかし,ベトナム戦争当時の爆撃によってかなり破壊されました。
遺跡の近くを大河トゥボン川が流れ,その川の女神を祀る秋盆夫人祠とサンスクリット碑文があります。トゥボン川の中流には王都チャキエウ遺跡があり,河口には近世に日本人町が栄えた港町ホイアンがあります。
チャンパ王国は,サンスクリットでチャンパープラまたはチャンパーナガラと呼ばれ,シュリークシェートラ(ビルマ),ドヴァーラヴァティー(タイ),カーンボージャ(カンボジア),シュリーヴィジャヤ(インドネシア)などと同じく,東南アジアにおける中世インド化国家の一つです。今日のベトナム中部沿海及び中部高原を支配していたこの王国の支配民族は不明ですが,遺跡からはサンスクリット碑文と共にマレー系(オーストロネシア語族西インドネシア語派)に属する古チャム語碑文が出土しており,チャンパ人(古チャム人)は現在のチャム族の祖先であると考えられています。
ミーソンの現在の住民はモン·クメール系のベト族(キン族)ですが,かつてはモン·クメール系のカトゥ族の勢力範囲でした。カトゥ族の祖先(古カトゥ人)もまた古チャム人と共に,チャンパ王国の構成員であったと考えられます。
建造物にはグプタ様式や先アンコール期の影響が見られ,高温多湿のベトナムの気候に適した焼成レンガによる宗教建築が生み出されました。隙間なく積み上げることで強度を確保し,セメントや漆喰などの接着剤を使わずに積み上げられた高度な建築様式には,チャンパ王国の高い建築技術の粋が見られます。この接着剤を使わずとも頑丈な強度を持つ建築技術は,現在の科学でも解明できないロストテクノロジーです。チャム族の伝承によれば,チャンパの彫刻工人·建塔工人の多くは徴用労働者として動員された山岳民族であり,現在でもカトゥ族は有名な木彫職人を輩出しています。
ミーソン聖域は20世紀初頭にフランス人によって発見され,フランス極東学院 (EFEO) のパルマンチェやクレイらによって数次にわたり修復·補強がなされました。しかし,フランス領インドシナ統治時代に盗掘を受け,美術品の多くが失われました。また,ベトナム戦争で南ベトナム解放民族戦線アジト掃討のため,アメリカ空軍·B-52の爆撃を受け,大半の遺跡が破壊されました。シヴァ神像や女神像のレリーフの中でも,顔が残っているのはごく一部のみです。不完全な形で残るからこそ,在りし日のミーソン遺跡への情憧を思い浮かべざるをえません。
ベトナム戦争後,ポーランド文化財保護アトリエ(PKZ)のカジミエシュ·クヴィアトコフスキやベトナム文化情報省文化財修復公司のホアン·ダオ·キンらによって補強が施され,石像の一部はダナン市のチャム彫刻博物館に移送されました。日本のトヨタ財団やアメリカ合衆国のワールドモニュメントウォッチ財団による保護助成が行われ,現在はイタリア隊が調査を進めています。


遺跡を歩くと,まるで時空を超えたかのような感覚に包まれます。静寂の中に響く鳥のさえずりと,風に揺れる木々の音が,訪れる者の心を癒します。特に,B·C·Dグループの塔群は保存状態が良く,その精緻な彫刻は,当時の高度な技術と芸術性を物語っています。インドをはじめ,ジャワやクメールとも文化交流があったチャンパ王国の遺跡だけあって,各地域から影響を受けた独自のチャンパ美術や美しい装飾文様からは,当時のチャム人たちの息遣いが聞こえてきそうです。
ミーソン遺跡は依然として発掘の途上にあり,周囲の森林には未だ発掘されていない遺跡が点在していると伝えられています。近い将来,遺跡の発掘や古代文字の研究が進展するにつれ,謎に包まれた古代ミーソン遺跡の全貌が明らかになり,失われた王国の民·チャム族に関する文化や歴史の真実が新たに解明される日が訪れるかもしれません。
また,ミーソン遺跡では,舞台でチャム族に伝わる民族舞踊や楽器演奏が披露されます。運転手の方が熱心に推奨してくれたので,鑑賞することにしました。親切な通訳の方が最前列の席を確保してくれ,迫力ある前列で観ることができました。クメールとの交流があったチャンパ王国ならではの多彩な民族舞踊は,他のベトナムの地域ではあまり見ることができず,チャンパ王国独特の文化圏を象徴しています。数ある民族舞踊の中でも,宮廷舞踊アプサラダンスは秀逸です。シヴァ神に祈りを捧げる天女に扮したクメールの美女が,妖艶な踊りを舞います。煌びやかな民族衣装に身を包んだ踊り子が壮麗な音楽に合わせて描く,洗練された麗しき天女の舞は息を呑むほどの美しさで,思わず涙が溢れました。


ミーソン遺跡にも描かれ,古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』にも描かれたアプサラダンスは,その天女を模した魅惑の踊りです。アプサラは,優しい微笑,妖艶な腰つき,ひらひらとたなびく腰布で,多くの王と人々の心を癒やしてきました。カンボジアを中心に東南アジアに広く伝わるアプサラダンスは,その天女を模した魅惑の踊りです。ゆるやかで優雅な挙動,緩急をつけしなやかに動く手足,うっとりするような流し目…見ているだけでも心奪われる優雅な舞です。時を超えて蘇った天女の美しい姿に,古代の王たちが酔いしれるのも無理はないと思いました。
今回の訪問で,私は遺跡の壮大さに圧倒され,その背後に秘められた歴史の重みを深く感じました。古代の石造りの建造物は,時を超えて語りかけるように佇み,過去と現在を繋ぐ貴重な遺産として存在しています。遺跡の静寂の中に漂う古の息吹を感じるとき,私は人類の歴史の一部であることを実感し,無限の時の流れの中で自分の存在の儚さを痛感しました。そして,この場所が持つ永遠の美しさと静けさに心を打たれ,未来へと続く歴史の一端を垣間見た気がしました。

 

 

三村(晃)